5月25日日曜日、午後には雨上がる。
少し遅い昼食の後、赤レンガ倉庫でやっていた「GREEN ROOM」の入場無料エリアを冷やかしつつ、夫と散歩。金曜日にUMIさんが出ていたのか…無料エリアのステージに出ていた若手のバンドが、MCで「無料の人たち〜!」と言っているのが聞こえてきて、思わず笑ってしまう。
そのまま、隣接する象の鼻パーク(象の鼻の形をした防波堤がある公園)へ抜けて、食後の甘味に「象の鼻ソフトクリーム」という、そのままのネーミングのアイスを食べる。体感温度的に油断していたところ、想定より早く象の鼻(アイス)が溶け始め、スカートにも地面にも、ぼたぼた。やると思った、と自分で思う。自分が思う自分は、そこそこの確率で食べ物をこぼす。
ちなみに、生きていて一番、超速でアイスが溶けたのは、夏の宮古島だった。アイスを買って、店を出た瞬間に溶け落ちたこと、忘れない。
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象の鼻パークの向こうは、海。夫に「川は向こう岸があるけれど、海は向こう岸が見えないから開けて見えるのでは」と当たり前のことを大発見のように話してしまう。なんにせよ、周りにそう高い建物もなくて、景色が開けたこの場所は気持ちがいい。景色が開けている場所(港)だから、歴史的にも開けたってことか。使者は海より来る。
公園の休憩所には、横浜にある公共・文化施設のパンフレットやチラシが数多く並ぶ。映画館の上映スケジュールも差してあったので、手に取って見る。幾分興味を惹かれたレオス・カラックス監督の『IT'S NOT ME』が夕方からあるらしい。上映時間は42分。気負わず観れそうな分数だし、日曜日、そう遅くない時間に帰れもする。それならと鑑賞決定。
上映前に、「中華街で冷凍の干豆腐を買う」というポッシブルなミッションを遂行してから、伊勢佐木町のシネマリンへ歩いて向かった。
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ちなみに、数々の名作映画を「小難しそう&厄介そう」という偏見から後回しにしている人生なので、カラックス作品も前作の『アネット』しかインプットしていない。
『IT'S NOT ME』は、ストーリーを手放したコラージュ的映像作品で、いつか観たゴダールの『イメージの本』と同じく、大いなる眠気に誘われてしまった。作品自体も、寝息サウンドに包まれた夢の出来事のような作りだから、こちら側が夢か現かの状態に陥るのは、あながち間違ってはいないような気もする。カラックスさんは、「世界の美はまばたきを求めている」って言っていたけど、目を瞑ることは、長いまばたきとして許されるだろうか…
ストーリーはなくとも、そこに器のような輪郭はあって、それは、自己の現在地を問われたカラックスさんが、それを模索すべく映像で答えを紡ぎました、という形。
ときに取り留めもなく思えるような思考や感覚が、自分と他人の記憶と記録(自他映画作品の引用含む)を巻き込みながら、エンディング手前まで続いていく。
現れては消えていく、映像と文字と音楽。碧緑の水中から仰ぎ見る、浮遊したようにも見える高飛び込みの女性。深い緑の衣を纏い、くるくると回転を続けながら、夜の橋を渡っていく赤毛のダンサー。緑と赤のコントラスト。ハレーション。響く雷鳴のなか、ピアノを弾き続ける少女。
印象的な映像や言葉、音楽を、栞にして挟みこむように浴び続ける。
ナレーションで語られる「映画は全てを許す」。それって、よく聞く、立川談志師匠がいうところの、落語における「業の肯定」と同じようなことなのだろうか。
「サメの夢を見たのに、助けてくれなかった(意訳)」と訴える娘らしき少女に「夢の監督は見ている本人だから、勝手に出演できない(意訳)」と答えるカラックスさん。一見、可愛い会話に見えて、示唆的で残酷でもある。『アネット』に見た贖罪のようなものも思い出した。
ちなみにこの作品って、瞑想や禅で言ったら、距離を取るべき、過ぎ去っていくだけで実体のない感情一つひとつを手に取っていることになるんだろうか。それとも、俯瞰して眺めている状態なんだろうか。結果的には、現在地(カラックスさんにとっての今ここ)を答えているのだから、むしろ瞑想的?お坊さんに、この映画の感想を聞いてみたい。
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映画の後、手頃でおいしいと噂のステーキライスの店の前で、口コミの「ステーキは飲み物」というワードの誘惑に負けて入店。「確かに、カレー並みに飲み物と言えなくもない」と思うくらい満足したものの食べ過ぎたようで、帰宅後お腹の調子を崩し、日曜日が終わった。