ひとり水回りツアー/プロローグ


2025年3月、2つの土地で1200年続くというニコイチの水の儀式をこの目で見るべく旅に出た。福井の神事「お水送り」から始まり、水の流れをイメージしながら滋賀、京都、土地土地のグッときたお寺と仏像をめぐり、奈良・東大寺の「お水取り」で締める「水回り」の旅。

こちらは、その12日間を漫画とテキストときどき写真で綴っていくであろう紀行シリーズ。春が来る、少し前の話。

23:59発の深夜バス

3月1日金曜日、23時59分。明日が始まる1分前。高速バスはゆるやかに、横浜駅を発ったのだった。

遠い昔の夏休み、尾道に行ったとき以来かもしれない。第一の中継地点、京都駅八条口までは6時間と少し。夜明けに向けてひた走る、長距離バスでの移動である。固まりそうな腰と、寝違えが治ったばかりの首を案じつつ、約2週間の旅は始まった。
 
この旅にタイトルをつけるならば、ひとり水回りツアー。
トイレでもお風呂でもない、水回りである。
二つの土地で、1200年続く、水の儀式を巡る旅。
 
その儀式が、福井県小浜市の神事「お水送り」と、奈良の大仏でおなじみ東大寺の伝統行事「お水取り」だ。仏像含め、寺社仏閣界隈に興味の向かない人には、何のこっちゃなイベントに違いない。私も仏像に興味を持ってから「お水取り」に関心が向いたし、「お水送り」を知ったのは最近のことだった。

どちらかというと名が知れている「お水取り」は、毎年3月に東大寺二月堂で繰り広げられる「修二会(しゅにえ)」と呼ばれる法要の、世間的ハイライトである。夜更けに大きな松明を持ったお坊さんが、火の粉をまき散らしながら舞台を勢いよく駆け抜けるシーンは、毎年ニュースで流されている。このくだりで、ああ!あれね、とガッテンする人もいるかもしれない。

関西だと「お水取りが終わると、春が来る」という自然法則めいた古くからの謂れが馴染んでいるらしく、名前だけは知っているという人も多いらしい。

高速バスが唯一停まった、海老名サービスエリア。なぜ00:00発でなく、23:59発…?

「おごそかに、やばい!」が、旅の動機

一方、それとニコイチの行事となっているのが、福井県小浜市の「お水送り」だ。曜日問わず、お水取りの10日前、3月2日に必ず行われている。若狭神宮寺と呼ばれる寺の井戸から汲み清めた水「お香水(おこうずい)」を、夜間に松明行列と共に川の淵まで運んで注ぎこむ、というのが大筋。そして、その淵は、地下水脈で東大寺の井戸と繋がっているという伝承を持つ。つまり、福井から送った水を、奈良で取っている、という流れである。しかも、千二百年、ずっと!
 
二地点間で、こんな壮大な
キャッチボールのごとき行事ある!?

おごそかに、やばくない!?
 
この興奮が、私にとってそもそもの旅の動機その1となった。恐ろしいほどのスタミナを持続させている信仰や祭りは数あれど、エリアを跨いで一つのプロジェクトに呼応しているところがすごい(私が知らないだけで、他にもそういう行事ってあるんでしょうか)。

それらを二地点で受け継がせていくだけの、始まりの想いの強さ、みたいなところに強く惹かれてしまう。自分がスタミナがない方なので、余計である。そこに込められた、ある意味怨念とも紙一重かもしれない、祈りの強さ。そういうものを、目の当たりにしたかった。ちなみに、スタート地点は福井のはずなのに、お水取りと比べると、お水送りの知名度はかなり低い。ニコイチであることを、知らない人も多い。

旅の動機その2としては、それらが水にまつわる儀式でありながら、相反するもう一つのエレメント「火」を用いて、「水と火の祭り」ともいえる魅惑的なビジュアルを伴っていたことが挙げられる。

特に、お水送りについては、小浜市の観光協会が運営するサイト然り、画像検索然り、あまり知識がなかったことも相まって、目にした画像の印象は鮮烈だった。夜の漆黒、山伏の白装束、オレンジに燃え盛る松明の炎。神秘と浪漫が充満していた。しかも、松明行列には、事前申込さえすれば一般参加できるとあって、これはと心に決めたのだった。

それが、一年前の夏のこと。その頃、定時の仕事に就いていたけれど、来年の有給休暇はそこに全てベットしようと決めた。結果、諸々性に合っていなかった会社を年末に退社し、家族の了承も得た上で(ここ大事)、3月の声と共に大手を振って旅に出たのである。
 
これから綴るは、ひとり水回りツアー。福井のお水送りから始まり、滋賀、京都とお香水ルートをイメージしながら、土地土地のいいな!と思うお寺と仏像を巡り、奈良のお水取りへと流れゆく、2025年春のひとり旅の記録である。